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飛騨古川飾り物会が解散 市へ寄付

印刷用ページを表示する掲載日:2022年4月11日更新

​4月8日(金曜日) 市役所

 

飛騨地域に伝わる「飾り物」の文化を継承してきた飛騨古川飾り物会の駒侑記扶代表と平瀬徹夫さんが市役所を訪れ、沖畑教育長に対し、「今後、市の文化伝承のために使ってほしい」と寄附金を手渡されました。


飾り物とは、江戸時代に始まったとされています。国や地域での慶事などに行われたもので、その慶事にちなんだテーマや、年ごとの歌会始の御題、干支などの課題が与えられ、その課題を日常で使う茶道具や酒器、大工道具などの小道具を用いて表現する遊びです。小道具を組み合わせてテーマそのものを表現する「作り物」、謎掛けなど暗示的に表現する「判じ物」、暮らしの何気ない様子などを再現して課題と結び付ける「見たて物」の三種類があります。現在は審査が行われることもあり、優秀とされた作品には「天位」「地位」「人位」などの称号が与えられます。


江戸や京都の商家などの庶民が、それぞれ凝った案を練り、町家の出格子を外して披露していたようです。古い記録によると、飛騨地域では天明7年に当時の高山郡代であった大原正純が陣屋稲荷の初午祭の時に奉納したとあるそうです。鉄道開通記念や皇族の誕生など祝いごとの際には盛大に飾り物が披露されたそうです。


全国各地で行われ、受け継がれていましたが、現在では古川町や高山市などごく限られた地域でしか見られなくなっているとのことです。古川町でも一時は途絶えましたが、長野五輪のあった平成10年に谷口久衛さんらが中心となって同会の第1回目となる飾り物展を開催されたそうです。以後、新春には飛騨古川さくら物産館などで「新春飾り物展」を催したり、特別な行事がある際に展示を行うなど活発に活動してみえました。


一時は同会も30人以上のメンバーがみえましたが、近年は会員の高齢化やメンバーの減少などが進み、メンバー数も60歳代から80歳代の18人となり、活動が縮小傾向となっていました。新型コロナの影響もあって、3年前の開催が最後の展示となり、今年3月に解散されました。


今回は、会から市に寄附(12万2,113円)されました。沖畑教育長は「文化に対する熱い思いを引き継いで大事にしていきたい。そのために寄付金を使わせていただきます」と話しました。
駒さんは「残念ながら高齢化とメンバーの減少で、力仕事もある展示などの活動が難しくなりました。発想力も落ちてきているのでは。飾り物を好きな若い子が出てきてくれれば継承できると思うので、それを期待したい」と話してみえました。
なお、掲載した飾り物の写真は、同会の平成31年の新春飾り物展「干支の部」で天位だった作品「猪突猛進」。干支「亥」がテーマで、山仕事の際にすねに巻くはばきを丸め、2頭のイノシシを表現したものです(写真は飛騨市民新聞提供)。

 

駒侑記扶代表、平瀬徹夫さん、沖畑教育長写真(1)

駒侑記扶代表、平瀬徹夫さん、沖畑教育長写真(1)

 

駒侑記扶代表、平瀬徹夫さん、沖畑教育長写真(2)

駒侑記扶代表、平瀬徹夫さん、沖畑教育長写真(2)

 

駒侑記扶代表、平瀬徹夫さん、沖畑教育長写真(3)

駒侑記扶代表、平瀬徹夫さん、沖畑教育長写真(3)

 

飾り物写真

飾り物写真